【鹿児島】ダムの渇水期にのみ姿を現す幻の廃墟「曽木発電所遺構」を見てきた

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ひとくちスポット紹介

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スポット名曽木発電所遺構展望公園
所在地〒895-2441 鹿児島県伊佐市大口曽木
概要明治42(1909)年に建設された「曽木第二発電所」の建物が遺構として残されている。
普段は下流にある鶴田ダムの影響で湖底に沈んでいるが、渇水期の5月~9月であればその姿を見ることが出来る。

幻の廃墟「曽木第二発電所」

2022年9月8日、天気は晴れ。

▲この川の先に遺構があるらしい

前回の記事では鹿児島県伊佐市の曽木の滝について紹介しましたが、ここから少し下流に行ったところには「曽木発電所遺構」というスポットがあるのです!

そこには明治~昭和にかけて稼働していた「曽木第二発電所」という水力発電所の建物が今もなお残されていて、普段はダム湖の中に沈んでいるのですが、渇水期になる5月~9月の間のみ見ることが出来るといわれています。

まだ9月も始まったばかりの今日なら、その姿が拝める絶好のチャンス!
そう思った僕は、さっそく現地へ向かう事にしました。

曽木発電所遺構展望公園へ

ダム湖に在る遺構なので少々遠くから見物する形になるのですが、ちょうど遺構の対岸側に「曽木発電所遺構展望公園」が整備されていたので、こちらへ立ち寄ってみました。
誰もいない駐車場に車を停め、ここからは徒歩で遺構を目指します。

遺構までは展望台まで続く遊歩道が整備されていて、スロープ・階段の2コースが設けられていました。

道中では“おばあちゃんの薬箱”と銘打った「伊佐薬草の杜」のエリアも有り、いろんな種類の野草が植えられていました。

この辺りに生息するシカもこういった野草を食べにやって来るそうで、扉の施錠に関する注意喚起も…。
やっぱりこういうものは野生生物も好きなのでしょうね。

階段を上り、林の中を進んでいきます。
この日はかなりの猛暑でしたが、木陰だったので幾分か涼しかったです。

道ばたで見つけた白くて立派なキノコ。
スオウシロオニタケ(食毒不明)にも見えるけど、キノコにはあまり詳しくないので何とも言えぬ…。

展望台に到着!

しばらく進んだところで、展望台に辿り着きました!
ここから遺構が見られるとのこと。

柵から見てみるとこんな感じ!

そこには立派な赤レンガ造りの建物がある!…と思ったのですが、どうも何らかの工事をしているような雰囲気…。

実はここを訪れる1年前、伊佐市では近年まれにみる記録的な豪雨に見舞われ、それに伴い増水した川の影響で建物の外壁が破壊されてしまったそうなのです。

なので、この記事を書いている現在でも復旧工事が進められているとのこと。
遺構の奥に見える足場らしきものも、それに関するものでしょうね…。

曽木第一・第二発電所の歴史

せっかくですので、曽木発電所遺構に関する歴史について解説していこうと思います。

曽木第一発電所のヘッドタンク・導水路跡

すべての始まりは明治40(1907)年、曽木の滝から約400m下流の位置に現在のチッソ株式会社の創業者である野口したがうによって曽木第一発電所(最大出力800kW)が建設されたのが始まりでした。

ここで生み出された電力は、大口村(現:伊佐市)にあった鉱山の動力源や周辺の町村の電灯用に供給されましたが、明治42 (1909)年に発生した洪水によって壊滅的な被害を受け、建設からわずか2年での廃止を余儀なくされました。

▲曽木第一発電所が建っていたとされる場所

廃止から100年余りが経った今では、当時を物語る痕跡はほとんど残っていません。

▲現役当時の曽木第二発電所
「曽木発電所から学ぼう」案内板より切取・引用

続いて建設されたのが、現在も建物が遺構として残されている曽木第二発電所(最大出力6,700kW)。
ドイツのジーメンス社製の発電装置が導入されたのに加え、約1.5kmにも及ぶ導水路が建設されました。

当時としてはかなり大規模な発電が可能となり、余剰電力を使って野口遵自身が設立した熊本県水俣村(現:水俣市)にあるカーバイド製造工場への送電も行われたようです。

カーバイドとは、炭化カルシウムでできた燃料のこと。
これと水を反応させて発生したアセチレンガスを燃焼させるとランプとして使うことが出来る。
主に明治後期~戦前にかけて利用された。

第二発電所は太平洋戦争が終結した後も稼働を続けていましたが、すぐそばを流れる川内川では洪水が相次いで発生していたため、のちに発電所から約9km下流の地点に洪水対策・水力発電を目的とした鶴田ダムが建設されることに。

そして昭和41(1966)年、鶴田ダムの完成に伴い第二発電所は湖底に沈みました。

▲曽木発電所遺構(2005年以前撮影)
「曽木発電所遺構の概要」案内板より切取・引用

転機が訪れたのは、平成11(1999)年のこと。
市を中心に国や県、NPOなどが遺構の保護のための取り組みを始め、さらにその5年後には鶴田ダム管理所によって補修工事も実施されました。

平成18 (2006)年には国の登録有形文化財に指定され、今では写真映えする幻想的なスポットとして各方面で取り上げられています!

明治期のレンガ造りの建物には、その時代のものでしか味わえない威厳やロマンがあるもの。
ダム湖の中に沈み、令和3(2021)年の豪雨災害によって一部倒壊はしましたが、こうして今日まで近代建築が拝めるというのはある種の奇跡に近いです。

まだまだ復旧工事も道半ばで、元の姿に戻るには軽く数年はかかる見込みらしいですが…いつか工事が完了したら、また見に行きたいですね。

今日のあとがき

スウ

展望台には、季節に応じた遺構の姿をとらえた写真も有りました!
参考までにどうぞ。

スポット情報

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この記事を書いた猫

九州地方に住むケモノ。
愛車でドライブを楽しむかたわら、2022年より観光スポット紹介と旅行記を兼ねたブログ「けものたび」を開設。

2022年:本土最南端「佐多岬」到達
2023年:日本最低峰の一つ「天保山」制覇

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