2022年8月30日、晴れ。
世間では平日だったこの日、珍しく仕事が休みだった僕は、当時の愛車だったワゴンRを走らせて桜島を一周することにしたのです。
その前に、桜島について軽く解説しておきましょう。
桜島とは、鹿児島県の錦江湾(鹿児島湾)に浮かぶ活火山の島で、薩摩半島と大隅半島の間に位置しています。
島と言いつつ大隅半島とは陸続きなのですが、これは大正3(1914)年の大正大噴火で流出した溶岩が海峡を埋め立てたことによるもの。
それまでは360度すべて海に囲まれていたのです。
活火山なので噴火が起きることもありますが、島には3,000人余りが住んでいて、島全体をまわれる道路もしっかり整備されています。
今日はそんな桜島へお邪魔して、島内をぐるっとまわってみようと思いますよ!
桜島へ上陸!
今回は、陸路でも行ける大隅半島側から上陸しました。
桜島に入ってしばらく進むと、ちょっとした休憩所のような場所を発見!
せっかくなので立ち寄ってみましたが…。
シャッターはすべて閉まっていて、看板も自然に還りつつありました…。
後から調べたところ、どうもコロナ禍のあおりを受けてやむなく閉業してしまった様子。
仕方が無いので、別の所へ行きましょう。
黒神埋没鳥居(鹿児島市黒神町)
最初に訪れたのは「黒神埋没鳥居」!
冒頭でもちょろっと記していますが、大正3(1914)年、桜島は非常に大規模な噴火を引き起こしました(大正大噴火)。
溶岩の流出によって陸続きになったほか、噴出した火山灰や軽石があっという間に集落を埋め尽くし、島内は壊滅状態に。
大正大噴火からは110年が経ちましたが…噴火によって埋もれたこの鳥居は、当時の噴火の凄まじさを物語る災害遺構として今日まで保存されています。
鳥居は中学校のお隣にありますが、誰でも自由に見学可。
道路を渡って木々の根元まで近づくと、すぐに見えてきました。
この鳥居の高さは3mほどだったそうですが、上部を残してあとは全部土の中。
噴火後、地元の住民がこの鳥居を掘り起こそうとしましたが、当時の噴火を物語るものとして、今も変わらぬままこの状態で保存されているそうです。
確かに、いかに当時の噴火が激しかったかが一目で分かります。
もしこんなレベルの噴火が現代で起きたら…ゾッとしますね。
黒神ビュースポット(鹿児島市黒神町)
桜島は大正大噴火だけでなく、昭和噴火というのも引き起こしています。
それを示す場所がここ「黒神ビュースポット」です!
別名「昭和溶岩地帯」。
あまり知られた場所ではないみたいですが、通り道に有ったので寄ってみました。
この噴火が発生したのは、戦後間もない昭和21(1946)年の1月から11月にかけて。
大正大噴火のように、極端に大規模な噴火とはなりませんでしたが、3月初頭に火口から溶岩が流れはじめ、麓の黒神・有村集落を呑み込み、最終的に海岸まで到達しました。
近くの展望台から周辺を見下ろしてみると…植物とかは有るけど、どことなく荒涼とした感じ。
ここは実際に溶岩が流れてきた場所で、しばらくの間は地面から湯気が上っていたことから辺り一帯を「地獄河原」と呼んでいたそうなんです。
でも、こうしてみると植物って凄いですよね。
かつて溶岩だったところでも緑が育っていく姿は、まさに自然の治癒力を感じさせます。
湯之平展望所(鹿児島市桜島小池町)
最後に訪れたのは、「湯之平展望所」というスポット!
ここは一般人が立ち入れる中で最も桜島の火口に近い場所。
つまるところ最高地点で、火口からはわずか3kmしか離れていません。
展望台からの景色はこんな感じ!
桜島の雄々しい姿が間近で見られます。
この時まで噴火していたのか、真っ黒の噴煙が漂っているのが見えます。
遠くには鹿児島市街地の様子も。
拡大してみると、たくさんのビルが見えました。
最後に石碑の写真を一枚。
昔はここよりも高い引ノ平(標高560m)という所に展望台があったみたいですが、昭和35(1960)年に発生した噴火で5トンもの噴石が飛散したらしく、現在は湯之平展望台が一般人が立ち入ることのできる最高地点とされている模様。
引ノ平から見る桜島はとっても至近距離で見られそうですが、噴石に当たりたくはないなぁ…。
帰路へ
最後に、「道の駅 たるみず」から撮った桜島の写真を一枚。
もっと観光スポットをまわりたかった思いは有りますが、それはまた別の機会へ取っておきましょう。
このほかにも、桜島には長渕剛のライブ会場跡を再整備した「赤水展望広場」の叫びの肖像や桜島最大の神社「月讀神社」など、まだまだいろんなスポットがあるようなので、いつかこういった場所にも訪れてみたいですね!
これをもって、桜島一周旅行記を終わりたいと思います。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!