戦争などに勝利した国では、その功績を讃えるためや兵士の帰還を記念するために凱旋門が建てられることがあります。
例えば、フランスのパリにあるエトワール凱旋門。
こちらは19世紀の「アウステルリッツの戦い」でロシア・オーストリア連合軍に勝利したのを記念して建設されたものといわれています。

日本においても、かつて日清戦争や日露戦争で勝利したのを記念して各地で凱旋門が建てられましたが…そのほとんどは時が経つとともに撤去されたり、空襲によって破壊されたりしてしまいました。
現存する凱旋門の多くは、道の両脇に門柱が立つといったシンプルなもの。
一方で、パリの凱旋門のようなアーチ式のものは全国で2基しか現存しておらず、現代においてはとても貴重な存在。
今回訪れるのは、鹿児島県姶良(あいら)市にある「山田の凱旋門」。
アーチ式かつ日本唯一の石造り凱旋門です。
ちなみに渋川凱旋紀念門のほうはレンガ造りみたい(こちらも日本唯一)。
貴重な戦勝モニュメント
2022年11月23日、天気は晴れ。

姶良市街地から内陸部へ向けて車を走らせると、道路脇に案内標識が見えてくる。
このすぐ手前に路地があるので、そこを左へ。

路地に入ると、凱旋門はすぐ目の前!
地元で切り出された凝灰岩を用いて造られたもので、高さ4.7m、幅4.9m。
パリのそれと比べるとめっちゃくちゃ小さいけど、れっきとした国の登録有形文化財。
駐車場は凱旋門の先にあるみたい…ていうか車で通り抜けられるんだ…。

アーチ部には力強い「凱旋門」の文字。

「明治三十八年 日露戦役紀念」
日露戦争が終結した年だ。

凱旋門の先には階段が続いている。
・・・何段あるんだこれ

頂上まで上ってみると、そこには「山田郷招魂社」とともに忠魂碑や慰霊碑が建立されていた。
ここには西南戦争や日清戦争・日露戦争・大東亜戦争で亡くなった英霊1,200柱が眠るという…。
山田の凱旋門の歴史

明治37(1904)年、日本とロシア帝国との間で巻き起こった日露戦争。
当時の山田村からは陸軍88名、海軍25名が出征したとされている。

戦争が終結したのはその翌年。
出征した人たちが無事に帰還したことを記念して、明治39(1906)年に山田村兵事会によって凱旋門が造られたという。
そして平成13(2001)年には国の登録有形文化財となり、現在へ至る・・・。
再訪編へ続きますฅ(`•ᆺ•´)ฅ

