100年の時を経て観光地に昇格した古道「掛橋坂」とその歴史

46.鹿児島県

姶良市の観光地に、掛橋坂というスポットがある。

もともとは同市の蒲生と薩摩川内市の藺牟田いむた祁答院けどういんを結ぶ地方街道の峠で、詳しい開通時期は不明だが、江戸時代ごろには既に利用されていただろうといわれている。

国土地理院|標準地図を編集・引用

明治30年代以降に鹿児島県道42号線(川内加治木線)が開通すると、この坂はやがて人々から忘れ去られ、周辺住民のみが知る状態だったのだが、2012年(平成24年)にメディアに取り上げられたことをきっかけに観光地化されたのだという。

今回は、そんな奇跡の復活を遂げた掛橋坂に行った時の様子をお届けしたい。

実際に行ってみた

案内標識をもとに県道42号線からのびる脇道を進むと、掛橋坂の登り口が見えてくる。

駐車場付近はご覧のようにきれいに整備され、杖も用意されていた。

登り口を過ぎると、いきなりマムシ注意の看板。

掛橋坂のある蒲生町は、姶良市の中でも山がちな場所だから本当に出るのだろう。毒も持っているので用心しなければいけない。

しばらくの間は舗装路が続く。

やがて道は未舗装となり、その先は鬱蒼とした森へ吸い込まれている。

掛橋坂はここから始まるようだ。

車の行き交う音は何一つ聞こえず、ただ鳥のさえずりや何かがガサガサと動く音が聞こえるのみ。

訪れたのが夕方というのもあって、人の気配は一切無し。

しばらく進むと石畳が出現したが、この辺りは木々に遮られて陽が差さないため苔むしていて、かつ道自体も急勾配なのでめちゃくちゃ滑る

登り口にあったパンフレットによると、石畳区間は掛橋坂の全長661mのうち337mを占めているらしい。割と長い。

道中には滝もあった。

水量は少なく、滝と呼ぶにはちょっと頼りないが、大雨の時にはそれなりの水量になるのかもしれない。

滝を通り過ぎると、だんだんと視界が明るくなってきた。

登るのに必死で気づかなかったが、いつの間にか坂の終盤まで到達していたらしい。

息を上げながら登り切ると、こちらも登り口と同様に整備されていた。

登り口からここまでは大体20分。けっこうしんどい。

帰りはただ黙々と坂を下り続け、10分ちょっとでスタート地点へ戻ってきた。

間違いなく時間帯のせいだが、結局最初から最後まで人と遭遇することは無かった。

掛橋坂の歴史

冒頭で記した通り、今回踏破した掛橋坂は蒲生と藺牟田・祁答院の街を結ぶ地方街道の峠として整備されたものだ。

この段落では、掛橋坂の歴史についてざっとまとめていこうと思う。

江戸時代

掛橋坂の詳しい開通時期は分かっていないが、道筋には1796年(寛政8年)に岩肌に刻まれた庚申供養碑や1772年(明和9年)の馬頭観音碑があるらしい。

このことから、江戸時代には既に開通していたと考えられる。

さらに、案内板によれば「坂途中の庚申供養碑の年代から、遅くとも寛政8年(1796)までには、岩山を削ぎ取った石段や切り石を敷き詰めた石畳の坂道として完成していたと考えられます」という説明がある。

石畳が敷かれる前は、道幅の狭く危険な板敷きの桟(かけはし)の道が整備されていたようで、「掛橋坂」という名前はそこから由来したとされている。

明治~平成

馬車による輸送が盛んになり始めた明治30年代以降、今の県道42号線が掛橋坂付近を迂回して開通すると、やがて掛橋坂の往来は疎らになり、次第に人々の記憶から忘れ去られていった。

それでも、周辺に住む住民には生活道路として細々と利用され続けていたのかもしれない。

しかし、県道の開通から100数年経った現代、とある古老の調査により、掛橋坂の存在が大々的に知られるようになる。

2012年のことだ。

 姶良市蒲生町西浦の山間部で、石畳の道が今も歴史を刻み続けている-。かつてこの辺りには、江戸時代の主要道路である「大口筋」から祁答院方面へ通じる地方道が通っていた。歴史書をひもときながら古道を探し歩く山元貞秋さん(68)=薩摩川内市=は、「鹿児島の城下と祁答院や藺牟田を結び、人の交流を支えていたのでは」と推測、古道との出合いに感慨深げだ。

 石畳が残っているのは、西浦下地区から北上地区に通じる山道。山元さんは、昨年11月末に確認して以降、何度も足を運んでは規模を計ったり、周辺の状況など踏査したりと裏付けを進めている。実測では石畳部分の長さが約280メートル、幅は1~2メートルほどだった。

南日本新聞「蒲生の石畳、悠久の歴史刻む」(2012年1月8日配信)より引用

鹿児島の地方紙に、掛橋坂の事が初めて掲載されたのだ。

ただし、この記事だと石畳の長さは約280mとなっており、現在の337mと比べると50mほど短い。

このとき残りの区間は、長い年月を経て埋没していたのだろう。

▲ 掛橋坂とほぼ同時期に整備されたとされる「龍門司坂」

その後は現地調査・発掘を経て、石畳や石段の造りが姶良市に現存する「龍門司坂」「白銀坂」(どちらも江戸時代における主要街道の一部だった)と共通していることから江戸時代に整備された街道であることが示され、その歴史的価値が評価されるようになった。

坂の存在が報じられた少なくとも3年後の2015年(平成27年)には市のホームページに掛橋坂が掲載されるようになり、翌年には登り口・下り口の整備工事も行われている。

さらに2017年には、NHK大河ドラマ「西郷どん」のロケ地にもなった。

ドラマ自体を見ていないので何も言えないが、この坂を駆け上がるシーンが撮影されたようだ。


掛橋坂は旧道化により、一度は多くの人々から忘れ去られたが、100年越しの発見と再評価を経たのち観光地として再スタートを切った。

決してメジャーなスポットであるとは言えないが、姶良市でもここを観光地としてPRしている以上、また忘れ去られるという事は当分無いのかもしれない。

今日のあとがき

スウ
スウ

登り口ではマムシ注意の看板がありましたが、下り口にはサル出没注意の張り紙も。

出会わなくて本当によかった…。

スポット情報

掛橋坂

所在地:鹿児島県姶良市蒲生町西浦
駐車場:有り
営業時間:特になし
かかった費用:
特になし