ひとくちスポット紹介
スポット名 | 旧串木野港灯台(さのさ灯台) |
所在地 | 〒896-0034 鹿児島県いちき串木野市小瀬町 |
概要 | 「長崎鼻」という岬に建つ無人灯台。 昭和26(1951)年から平成21(2009)年までの間利用されていたが、老朽化を理由に今では稼働を停止している。 |
いちき串木野市は、2005年10月に串木野市と市来町が合併して新設された市である。
中でも旧串木野市は、古くよりまぐろの遠洋漁業で栄えた港町であり、街中では獲れたまぐろをふんだんに使った料理のほか、まぐろラーメンといったご当地グルメも味わえるらしい。食べたことは無いけど。
そんないちき串木野市には、いまは役目を終えたものの水産業発展のシンボルとなった灯台がある。
旧串木野港灯台
その名は旧串木野港灯台。
民謡「串木野さのさ」でも歌われる長崎鼻公園内に建設されており、さのさ灯台とも呼ばれている。
さのさ灯台は昭和26年(1951年)に県内初の無人灯台として建設され、平成4年には灯台より南方700m先まで広がる浅瀬の注意喚起のために照射灯が設置されるなど、長い間串木野の港湾を支えてきた灯台だ。
平成21(2009)年に灯台が廃止された後も照射灯の機能は残り続けたが、老朽化を理由に平成27(2015)年3月をもって照射灯も移設され、現在ではモニュメントとしてこの地を見つめている。
現在の照射灯の役割は、さのさ灯台から約50m東に建つ「三ツ瀬照射灯」が担っている。
黒い車の奥にある白く四角い建造物がそれだ。
歌碑と鎮魂の碑
大正から昭和にかけての歌人・柳原白蓮もこの地に訪れ、「右も海 左も海の 色蒼く 沖の小島に 想ひは ふかし」という歌を詠んだという。
この歌についての記述があるので、一部引用させて頂こう。
昭和32年に白蓮がこの地を訪れ、周りを海に囲まれた長崎鼻の絶景に魅せられ、また、終戦直前に学徒出陣で派遣されていた鹿児島県日置市(いちき串木野市に隣接)で亡くなった長男のことを想い詠んだ歌と言われている。
海上保安新聞 長崎鼻公園にある「鎮魂の碑」と「白蓮の歌碑」より
石碑の写真は撮らなかったが、歌碑と向かい合うようにして「鎮魂の碑」が建立されている。
昭和60年3月31日、串木野漁港から甑島へ向かっていた瀬渡し船「開洋丸」が悪天候に見舞われ遭難・転覆し、乗っていた船長と乗客の計27人全員が死亡したことによるものだ。
開洋丸の最大搭載人員は23人であったのに対しそれを超える人数と多量の荷物を搭載していたのに加え、海上模様の悪化なども重なった。そして遭難時の連絡手段を誰も有していなかったことで捜索が遅れたのも乗船した全員が死亡した一因だろう。
この転覆事件は日本の重大海難の一つとして国土交通省の海難審判所で紹介されている。
今日のあとがき
この日は台風上陸前で、沖合の波がメチャクチャ高かったです!
海岸は浅瀬なのでさざ波ぐらいの波しか来ませんでしたが、海は怖いですね…。
スポット情報
スポット名 | 旧串木野港灯台(さのさ灯台) |
所在地 | 〒896-0034 鹿児島県いちき串木野市小瀬町 |
営業時間 | 特に無し |
料金 | 特に無し |
駐車場 | 有り(無料) |