ひとくちスポット紹介
スポット名 | 多賀山公園 (東福寺城跡) |
所在地 | 〒892-0802 鹿児島県鹿児島市清水町32 |
概要 | 鹿児島市街地の外れにある公園。 ここにはかつて東福寺城が存在していたが、江戸時代初期に廃城となり、今ではわずかにその痕跡が残されている。 鹿児島出身の軍人である東郷平八郎の墓碑や銅像も公園内に立てられている。 |
多賀山公園へ
2024年2月4日、天気は曇り。
今回紹介するスポットは、鹿児島県鹿児島市にある「多賀山公園」です!
市街地の外れにある高台を上ったところに有る場所で、鹿児島駅からの所要時間は徒歩15分ぐらい。
徒歩にしてはちょっと遠いですが、行けなくはないです。
Googleマップを頼りに進むと案内看板が見えてくるので、あとはそれに従って坂を上っていくのですが…これが結構しんどくて。
距離的には200mほどの坂ですが、地味にきついものを感じます。
何とか坂を上りきり、多賀山公園に着きました。
ここからは園内を散策していきます。
かつて存在した山城「東福城跡」
その昔、ここら一帯には山全体を要塞化したお城「東福寺城」が存在していたようです。
築城されたのは、なんと平安時代真っ只中の天喜元(1053)年。
このとき、現在の宮崎県・鹿児島県にあたる日向・大隅・薩摩はまとめて“三州”と呼ばれていましたが、その中では初めて築かれた城であるともいわれています。
ただ、東福寺城は慶長7(1602)年に廃城となり、当時を物語る痕跡はあまり残っていないとされています。
とはいっても、本当はそれを示す石碑や主郭(本丸)跡が見られたそうなんですが、この時の僕はそれに気づかず完全スルーする大ポカをやらかしています。
ただひたすらに「城の痕跡ねーじゃん!」と思いながらうろちょろしてました。
とりあえず、苦し紛れに撮影した城の痕跡っぽいものが上の写真です。
見たところ外敵の足止めに使われる堀切の跡のよう。
これは橋の上から見下ろした景色なんですが、けっこうな高さです…。
東郷平八郎の眠る地
突然ですが、東郷平八郎という人物を知っているでしょうか?
この方は明治37(1904)年に始まった日露戦争において、ロシア側のバルチック艦隊を叩きのめしたことで知られる海軍大将。
おそらく「歴史の教科書で習った!」となった方もいるはず。
東郷平八郎の生まれは鹿児島。
昭和9(1934)年に満86歳でこの世を去ると、国葬ののち東京の多磨霊園に埋葬されましたが、ここ多賀山公園にも墓碑が建立されているほか、遺髪が埋葬されています。
こちらは、昭和59(1984)年の東郷平八郎没後50年祭で建立された「聖将之碑」。
公園にはちょっとした丘がありますが、その頂上には錦江湾を見下ろす形で銅像も建てられていました。
頂上からの眺め
銅像から見た鹿児島市街地の眺め。
天気があまりよろしくないですが、遮蔽物も無くけっこう眺望は良さげです。
晴れていれば、対岸の桜島も見渡せるはず。
港の辺りにズームしてみると、停泊する数々のフェリーの姿が有りました!
行き先は屋久島や種子島、トカラ列島に奄美群島などと盛りだくさんですから、いつかああいう船に乗って新天地を開拓するってのもしてみたいですね。
そして地元では夜景スポットとしても知られているらしく、夜になれば数々の街の灯りを望むことができます。
市街地にかなり近いところにある城山展望台とはまた違った印象の夜景でした。
それにしてもゴルフ練習場の光の主張がすごい。
多賀神社
銅像の裏手にある階段を降り、薄暗い林の中へ続く遊歩道を進んでいきます。
すると・・・。
いきなり多賀神社の鳥居が現れます。
ひっそりとした場所に建立されているからなのか、かなり厳かな雰囲気。
鳥居の辺りから空気が変わったのを実感しました。
拝殿には誰もいませんでしたが、電気が点いていました。
境内はかなり静かで、なんだか外界と隔絶されているような感覚になります。
もう少し滞在したい欲はありましたが、間もなく日の入りなのでここらで失礼することに…。
鹿児島市の観光スポットとしてはそこまで有名ではないですが、なかなか興味深い場所でした。
今日のあとがき
公園内には色々と見るものが有ったので、散策にはうってつけの場所でした!
ふらっと立ち寄るのも良いかもしれません。
スポット情報
スポット名 | 多賀山公園 (東福寺城跡) |
所在地 | 〒892-0802 鹿児島県鹿児島市清水町32 |
営業時間 | 特に無し |
料金 | 特に無し |
駐車場 | 有り(無料) |
トイレ | 有り |